229本目 ゴールデンスランバー
映画レビュー/概要
229本目 ゴールデンスランバー2010年
監督:中村義洋
主演:堺雅人
評価:★★★★
仙台市、首相の凱旋パレードが行われており、街は華やかなムードであった。
そんな中、大学の友人に呼ばれた青柳。
車の中で、不吉な言葉を受ける。
「お前、オズワルドにされるぞ」
そのセリフを聞いたあと、首相が何者かに暗殺されてしまう。
そして、友人も車の爆発に巻き込まれて死亡する。
逃げ出す青柳は、警察に追われる身に。
首相暗殺の容疑で狙われた青柳は一体どうなってしまうのか……。
一人の男の逃走劇
首相暗殺の容疑をかけられた男が、真犯人が誰かもわからず逃走を続けるというお話。堺雅人の演技が好きなのはこの映画からで、その後は様々なドラマで活躍してくれているので嬉しい限りです。
”世間”が犯人として主人公を追いかける中、その逃亡を助けてくれるのは自分の知人、友人たち。
この映画でもっとも感じるのは、人と人との繋がり。
一人であればちっぽけな存在かもしれないけれども、人と築いた関係というのは、困難な出来事を乗り越えることもできてしまう。
というのを教えてくれている気がします。
実際、世間というのは自分が思っている以上に無情だったり、厳しかったりします。
社会というのはいつだって自身のために動いてくれるわけではなく、かといってその輪から外れることはできない。
マスコミを代表に、犯人によって追い詰められてしまう主人公が、そんな輪から外れても生きていけるのは、支えてくれる別の存在”自分の知る人物達”のお陰なのです。
そう考えてみれば、例え世間に背いたって、自分の近しい人たちと幸せに暮らしていけるのでは?
世間の目というものは気にしすぎると窮屈に感じるだけなのかも。
なんてことを考えさせられるシナリオになっております。
”ゴールデンスランバー”という曲名は
『ビートルズ』は言わずもがな有名なアーティストですが、彼らの曲で”ゴールデンスランバー”という歌があります。この曲と、今作(厳密にいえば原作)とは接点がしっかりあります。色濃くそれを書き出しているのかは、まだ原作を読んではいませんのでわかりませんが、作者の伊坂幸太郎氏はどれほど意識したのでしょうか。
一説として、歌詞のとある部分を意識しているのではないかという話があります。
ゴールデンスランバーは直訳すれば”黄金のまどろみ”。
鳴海としての解釈で言えば、楽しかった頃をつい思い出してしまうくらいに心地よい時間。うとうとしながらも、頭の中では昔の情景が浮かんでいる。
そんな時こそ、”ゴールデンスランバー”なのではないでしょうか。
こういう解釈ができるのは、歌詞を日本語訳してみるとなんだかそのような雰囲気を思わせる歌詞が出てくるからです。
もちろんこれは鳴海の勝手な解釈です。
でも、この解釈が正しかったとすると、主人公が思いを馳せる”ゴールデンスランバー”というのは、逃走する前の楽しかったいろんな時期を思い出しているタイミングかもしれませんね。
邦画では中々観られないサスペンス。
是非ご堪能下さい。
「人生、生きていてなんぼだ --森田」
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