映画レビュー/概要

275本目 エルム街の悪夢/A Nightmare on Elm Street
1984年
監督:ウェス・クレイブン
主演:ヘザー・ランゲンカンプ
評価:★★★★★

エルム街に住む高校生のナンシーは、毎日同じ夢を見て苦しんでいた。
その話を友人たちにすると、他にも同じ夢を見ていることがわかった。

その夢は全て同じではないが、必ず出てくる人物が一人。
顔が焼けただれ、赤と緑のセーターを着て、帽子を被った男。

彼の名前は、フレディ・クルーガー。

かつて、エルム街で殺人を行っていた人物である
その彼が、一体どうして夢に出てくるのか。

ナンシー達に、不可解な出来事が次々と起こり始める……。



トラウマホラーの一角

”スプラッター”というのは、殺人に関する描写が生々しいことを指す言葉で、それに”ホラー”がくっつくと、世にもおぞましい殺人描写、ということになる。
そもそもスプラッターの時点で”おぞましい”のだが、映画的恐怖体験を描くのが、”スプラッターホラー”の役目なわけです。

そんなこんなで、この映画は”スプラッターホラー”の代表作を挙げる上で欠かせない作品でございます。

よりにもよって、鳴海の父がこの映画のビデオ(※VHSのことですよ?ビデオ・オン・デマンドの話じゃなくて。あれ、もう知らない人が居る世界になってしまったの!?)をわざわざ買ってきたばっかりに鑑賞することになったという苦い経歴を持っています。

あはは、そんなんだからこんな息子になってしまうのさ。
(※こんな=映画ばかり観るオタク的な部分を指す)

皆さんが初鑑賞したのはいつになるんでしょうか。
その時期によって鑑賞後の感想は結構変わると思います。

それを議論しあうのもまた面白いかもしれません。

小さい子には最大の恐怖を

今作に登場する殺人鬼は、実質的に殺すことができないものです。
というのも、この殺人鬼は既に死んでいる。
つまり、一度死んだものを殺すことはできない、というわけです。

鳴海のトラウマになりやすい要素として、”殺せない”は重要なキーワードになります。
じゃなければ、『バタリアン』なんかで泣くことはなかったのですから……。

鳴海の友人達に話を聞いていく中で、やはりよく聞くのは「幼少の頃見たフレディは怖かった」というものです。
そりゃそうですよね、不死の殺人鬼が夢の中で殺しに来るんですから。

この映画が公開された当時、大人達はどのような心境で観ていたんでしょうか。
笑いながらポップコーンを食べてがやがやしていたのか。

それとも、伝説級になった作品ですから、大人でも恐怖して寝る前に震えていたんでしょうか。

悲しきかな、社会人になってから観るエルム街の悪夢というのは、ブラックコメディにしか感じられず、恐怖というのは微塵も無くなってしまいました。
子供の頃味わった恐怖はいずこへ。

そんな感情すら、この作品の中に通じるものがあります。



いつも襲われるのは子どもたち

エルム街の殺人鬼、フレディ・クルーガーは、エルム街に住む子どもたちの夢に現れては殺人を行うというルールに沿った行動をするわけです。

子どもと言っても幼稚園児とかじゃなく、高校生までの線引ですがね。

つまり、大人は大して怖がらないから意味がない。
怖がる子どもを殺してこそ自身の”力”となる、ということです。

作中でそんなもんだから、自分が大人になってから観ると全然怖くない。
むしろ、主人公にボコられるフレディが可哀想と思えるくらい。

小学生の時に観たフレディと、大人になってから観たフレディというのは、それほどの差があったわけです。

そういった側面を作中に反映しつつも、スプラッターホラーとしての楽しみをお届けし、”夢に出てくる殺人鬼”というキャラクターを確立した伝説の一作。

もしも、大人になってから観て怖かったならご注意を。

怖がる人の所に、フレディはやってきますから……。





「1,2,フレディが来る……。  --フレディの数え歌」

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