10本目 ボルケーノ/volcano

1997年
監督:ミック:ジャクソン
主演:トミー・リー・ジョーンズ
評価:★★★★

※ネタバレ注意!




SF映画を好んで観ていた鳴海少年が、とある日の日曜日にテレビで映画を観ていた。
その映画には、宇宙人が出てくることも、怪獣が出てくることもなかった。

(なんか、そんなに面白く無さそう……)

当時まだ小学生だった鳴海少年は、怪獣と怪獣が戦ったり、ライトセーバーを振り回しながら闘う姿に熱中していた。
そう、普通の人間ドラマには興味が無かったのだ。

しかし、少年の瞳に、地獄のような光景が映しだされた。

街のど真ん中にある池から噴出した溶岩は、道路をゆったりと進みながら、存在するもの全てを燃やし尽くしていく。

車や道端の木など、鳴海少年も普段から目にするもの全てが灼熱に飲み込まれていった。
逃げ惑う人々、次々と襲いかかる火の手から人々を助けようとする主人公・ローク。

溶岩を止めるため、街中の人達が一つになる様子は、少年の心を打った。
だが、人々の勇気に感情を高ぶらせただけでは済まなかった。

地下鉄に取り残された人々を救助しようと向かった一行は、ほとんどの人達を救い出すことに成功。
救助隊のうち、一人が叫んだ。

「運転手はどこだ!?」

上司は、部下たちに退却を命じ、一人運転席へと向かう。

辺りが灼熱地獄と化している中、上司は運転手を担ぎあげ、一歩、また一歩と進んでいく。聖書の一節を読みながら。
鳴海少年は、この二人が早く助かるようにと祈った。行き詰まる展開に、幼心が締め付けられていたのだ。

ようやく出口に着いた。

だが、溶岩が既に辺りを覆っている。

部下は叫んだ。

「運転手は諦めて早く飛べ!」

上司は意を決した。

運転手を見捨てることなく、彼は運転手を担いだまま飛んだ。

着地した先は、全てを燃やし尽くす溶岩。

悲痛な声を上げながらも、最後の力を振り絞り、部下の元へと運転手を投げ飛ばす。

運転手は助かったが、上司はゆっくり、溶岩の進むスピードのようにじわじわと溶けていった。

鳴海少年は、いまだかつてない衝撃に襲われた。

映画の中で人々が殺される姿を観たことはある。
人の皮が剥がされることもあった。

だが、このような悲運に見舞われた登場人物を観たことは無かった。
自分を犠牲にし、人を助ける。

虚しさからか、それとも悲しみか、失ったせつなさか、鳴海少年は、何も思うこと無く映画を見続けた。



一度は回避した絶望。
だが、学者であるエイミーは第二の噴火を示唆する。

再度訪れた地獄からの使者。

娘を、そして街の人々を助けるために、ロークは最後の手に出る。

突発的に閃いたアイデアを元に、再び人々は一致団結する。



準備に取り掛かった隊員を犠牲にし、作戦は遂行された。
そして、見事溶岩を海へ流すことに成功した。




最後は人々の笑みで映画は幕を閉じる。
確かに、物語の終わりは幸せな気分を味あわせてくれた。

だが、少年の心には深く刻まれた。

その幸せを得るために、様々な人達が犠牲になったことを。

そこで知ったのだ。物語というのは、幸せの陰に不幸があるということを。





パニック物が大流行の90年代!



どうも、現代の鳴海です。

ボルケーノは本当にいいパニック映画っすね!(軽っ)
特に娘のことを気にかけながらも、プロとしての仕事を全うしようとするロークには、今でも胸打たれるものがあります。



90年代と言えば、アルマゲドンやディープインパクトに代表されるように、自然災害(隕石ばっかりだけど)にスポットを当てた映画が大ヒットしていました。

しかし、噴火を題材にした映画というのは希少でした。(※他にもあると言えばあるけど、有名どころはそんなにない)

地震・竜巻・津波など、災害というのはいつどこで発生するかわからず、対策をしようにも、人々が抗うことができないもの。
こういう映画を観ては、人では抵抗できない未曾有の危機に立ち向かっていく勇姿を見ることができます。

現実の世界でも、災害が起きては人々が手を結び、困難を乗り越えています。

映画と現実は、時として重なることがあるのです。
そこから得られるものは、決して少なくないはず。




「ビバリーヒルズセンターに来たかったんだろう?  --ローク」

#鳴海の一人でキネマ
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